気がかりな本
本(作品)を読んでいてどうも不思議な感じのする本だとふと感じられ、数日経ってもその不思議さが忘れられず、いやそれどころか、日を追うごとにますます気がかりになる本というものがあるものです。ここで取り上げる民話(民話といえるのかも問題ですが)『月の夜ざらし』が、私にとってその類の本なのです。
「松谷みよ子さんの編集による民話集の中にある『月の夜ざらし』は、わずか3ペイジほどの短いお話ですが奇妙な迫力があります。夫がわけもなくおぞましく感じられた妻が、占いばあさんの言葉に従って、月の光にさらしてつくった着物を夫に着せると、夫は「夜神」の「お供」となってどこへともなく立ち去る、という話です。この作品についての分析やみなさんのご意見・感想などありましたら、教えて下さい」というメールが、高校教師のOさんからある読み聞かせの会のMLに寄せられました。
実は、わたしもこのお話は以前に民話集の中で読み、類例のない(?)珍しいお話(得体の知れない恐ろしさがある)で、「民話」(あるいは「昔話」)といえるのだろうか、あるいは、内容を分類するとすればどのように分類されるのだろうか、また、どの地方の話なのだろう、何をいわんとしているのだろうか、等々とても不思議に思っていた作品でした。
性格の不一致
先ず、「庄屋の娘が婿どのを迎え、初めのうちはなかむつまじくしていたが、どういうわけか、だんだん婿どのがいやになってきた。どこがどうというわけではないが、一つ、一つ、することが気になって、それはごくつまらぬことのようにあるのだが、気になりだすと、眉をしかめるくせやら、せきばらいをする声さえ気になってくる。なんやら体がむずむずしてくるような、いやさなのだと。」という話の出だしが、読む者にいろいろと興味を抱かせます。
この夫婦の現状を現代に置き換えてみますと、「性格の不一致」という離婚原因に相当し裁判で一件落着というところでしょうが、民話の世界においても、周囲がいろいろと知恵を絞って(その際、こっけいな策略を弄するというように、笑い話的なものになるのでは?)二人をめでたく別れさせる、という展開が通常ではないでしょうか。
しかしながら、「月の光が青白く照っている晩に、夫は妻の前を細い細い声で、”月の夜ざらし知らで着て、今は夜神の供をする”、こう唱えて、またフワリフワリと闇の中へ消えて行ってしまった」というこの話の結末からは、妻が夫をどうしても好きになれない、いや、体がむずむずしてくるようないやさは、尋常ではないことを暗示しているとしか思えません。
婚姻譚
民話には、婚姻譚というジャンルの話が豊富にありますが、その際相手が動物というのが多く見受けられ、最後にはその正体が判明します。しかし、『雪女』の場合のように動物以外の場合もあり、こちらの方が怖さを漂わせてくれるようです。このように考えますと、『月の夜ざらし』は後者の部類に入るでしょうが、問題はその正体がはっきりしないことです。
もともと夜神のお供だったと考えるのが正解かなともいえますし(だけど平凡過ぎる?)、いや、夜ざらしを着せられたからそうなってしまったのだ、とも解釈できないことはない?
ということで、まだまだこのお話の課題は私に残されたままです。
なお、紙面の関係で、図書館で調べた以下の資料をご参考までにあげておきます。
1) 「読んであげたいおはなし~松谷みよ子の民話(下巻)」(筑摩書房)
2) 「定本・日本の民話(第12巻~佐渡の民話・第1集、第2集)」(未来社)
3) 「いまに語りつぐ日本の民話集(全12巻)笑い話・世間話(1)([因果応報譚)ふしぎなめぐりあわせ」(作品社)
4) 「日本昔ばなし100話」(日本民話の会編・国土社)
[注] 2)によりますと、民話が豊富な佐渡の、国仲(中央部)地方の話だそうです。第1集は編者の佐渡在住の浜口一夫さんが1959年に出版されたものを、2002年に第2集を追加されて未来社から出版されたもの。話の末尾に「はなし鈴木■三「佐渡島昔話集」とあります。
3)によりますと、話の末尾に「新潟県佐渡 長谷川玉江採集」とあり、巻末の出展一覧表には、「新潟県佐渡島昔話集」鈴木■三 三省堂1973年とあります。なお、「日本昔話大成」(角川書店)。
4)によりますと、“かなしくなる話”に入っていて、佐渡島のみに伝えられている珍しい話(他の昔話は全国で類話を見つけることが出来る)である、と書かれています。