3-1 世界的に見て学習塾が栄えている国々とは

学習塾を論じる際に先ず一番先に押さえておかなければならないことは、世界的に見て学習塾が栄えている国、言い換えれば国家の教育や社会に大きな影響を与えている国は、日本、韓国、香港、台湾と言った東アジア圏の国々・地域であり(これらの国々・地域には、儒教圏であることと、米英にかつて占領されたことがあるという共通する興味深い点が存在する)、ヨーロッパはもとより他の諸国にも例をみないということである。そういう意味からも、なぜその国で学習塾が繁栄しているのかの理由を探ることは、その国の公教育や社会の在りようを探る重要なポイントとなる。

 

3-2 親や子どもたちのニーズとは何か

学習塾を成り立たせている要因は、一言でいえば親や子どもたちのニーズである。そのニーズが消滅すれば塾は成り立たなくなり、存在し得なくなる。
では、ニーズとは何か、ニーズの中身とは何かが問題となる。それを端的に指摘すれば、親たちの公教育(公立学校)への不安と不満である。塾が不安産業であるともいわれる所以である。では、その公立学校への不安と不満の具体的中身は何だろうか。
それは一口で言えば、学力への不安・不満である(もちろん、公立学校批判には、いじめが多い、学級崩壊が起きている、面倒見が悪い等々の理由もあるが、塾へ直結する理由はやはり学力低下への不安が第一だろう)。
ところが、学力への不安・不満といってもそこには質の異なる二つの流れが存在する。一つは、もっと高い学力を要求する流れ(特に私立中学受験)であり、他の一つは、国の教育政策の欠陥に起因する基礎学力の定着を求める流れである。前者の層は中高受験で上位校志望層であり、いわゆる大手進学塾へと流れ、後者の層はその他の塾へと流れる。

 

3-3 受験で頼れるのは学習塾だけ

先ず前者の学力であるが、わが国の中高大受験を巡る熾烈な競争に起因する。東大を頂点とする受験競争は、必然的に高校受験における学力競争を引き起こし、さらには私立の中高一貫校が断然有利だということになれば、中学受験が過熱するのは必然である。特に、私立の中高一貫校が大学の難関校を突破するのに有利である現状からは、高校入試よりも中学入試のほうが受験競争においては熾烈である。その際、公立小学校の受験への関与は皆無だから、頼れるのは唯一つ、学習塾だけである。かくて、有名中学受験という特殊な場面においては、学習塾とは切っても切れない強固な「絆」、言い換えれば強固な「ニーズ」が生まれることになる。
ところが、この受験競争というのは、大学入試制度のみならず大学を卒業してからの就職の現実、さらには大企業における人事の在り様といった日本の社会構造と絡む大きな問題を含むものだけに、一朝一夕に解決できるものではない。それゆえに、この受験競争が続く限り予備校や受験塾も安定した存続が保証されることになる。

 

3-4 日本の教育の再生に欠かせないこと

後者の基礎学力への不安・不満は、私立中学校を目指す約三割の層(この層はもうとっくに公立学校を相手にしていない)を差し引いた七割の層が直面する問題であるだけに、国の教育政策の欠陥(問題点)を炙り出しているといえよう。したがって、ここでは国のこれまでの教育政策の問題点、すなわち、ここ二十五年にわたる公教育の縮小化=私事化を改めて、公教育の充実・拡大へと方向を転換しなければならない。その際に先ず行うべきは教育予算の充実・拡大である。教員を増やし、臨時職員を無くし正職員にし、授業についてこれない生徒のための補習や土曜授業を、塾など外部に委託することなく、正規の授業として取り組むべきである。基礎学力への不安・不満こそは、目下の政治的緊急課題でもある。これを解決しない限り、どんな教育改革を口にしても、日本の教育の再生はあり得ないと言っても過言ではないだろう。
ただし、これが解決されれば、塾へのニーズは半減するだろう。すなわち、高校受験(主として公立高校)を控えた中三生は別として、少なくとも小学生からの塾通いは減ってゆくだろう。

 

3-5 塾と公教育は車の両輪の様相

以上みてきたことを裏返して考えると、学習塾は現象としては公教育(公立学校)への親たちの不満や不安を解消することを通じて、また一時的緊急の避難場所として、結果的にではあれ社会的、公共的(公益的)な役割を担っているといえるのではないか。表現を変えれば、公教育と塾教育とは本来は全く別個のものであるはずだが(例えば、指導要領の縛りがあるかどうか、教員免許は必要かどうかなど)、現状は両者は車の両輪の様相を呈し、塾が公教育を補完している。
このことは、「学校と塾は合わせ鏡のような存在である」とも、また、「塾は学校の補完機能をなしている」とか、「ダブルスクール」だとも言われる所以であろう。それゆえに、公教育(公立学校)への不満が継続する限り、言い換えれば公教育(公立学校)の改革が成功しない限り、学習塾は継続を保障された存在となっていると言ってよい。
だが、そうなると先ほどから触れてきた公教育と私教育(民間教育)との融合ないしは境界線の曖昧化、言い換えれば公教育の縮小化という現象を追認することになり、このことは公教育制度を前提としているわが国の教育政策の根幹を揺るがすことになり、国の教育政策の失敗を決定付けることを意味し、その責任が問われることになる。

 


1.はじめに

2.学習塾の現状

3.学習塾はなぜ存在しているのか

4.民間教育産業と公教育の市場化

5.学習塾から見えてくる日本の学校

6.学習塾(民間教育産業)の存在が引き起こしている課題

7.日本の教育をよりよくするに(一つの提言)