この答申は、第1章 「今なぜ『教養』なのか」、第2章「新しい時代に求められる教養とは何か」、第3章「どのように教養を培っていくのか」から構成されているが、「国語」と関係する部分は第2章(4)と第3章である。すなわち、

【資料 1-2-1】
第2章 新しい時代に求められる教養とは何か
教養とは,個人が社会とかかわり,経験を積み,体系的な知識や知恵を獲得する過程で身に付ける,ものの見方,考え方,価値観の総体ということができる。教養は,人類の歴史の中で,それぞれの文化的な背景を色濃く反映させながら積み重ねられ,後世へと伝えられてきた。人には,その成長段階ごとに身に付けなければならない教養がある。それらを,社会での様々な経験,自己との対話等を通じて一つ一つ身に付け,それぞれの内面に自分の生きる座標軸,すなわち行動の基準とそれを支える価値観を構築していかなければならない。教養は,知的な側面のみならず,規範意識と倫理性,感性と美意識,主体的に行動する力,バランス感覚,体力や精神力などを含めた総体的な概念としてとらえるべきものである。
21世紀を迎え,変化の激しい流動的な社会に生きる我々にとって必要な資質や能力は何か,これを培うための教育はどうあるべきか,こうした観点から,本審議会は,新しい時代に求められる教養について検討を行い,その要素として次の5つの点を重視した。
(1)新しい時代を生きるための教養として,社会とのかかわりの中で自己を位置付け律していく力や,自ら社会秩序を作り出していく力が不可欠である。主体性ある人間として向上心や志を持って生き,より良い新しい時代の創造に向かって行動することができる力,他者の立場に立って考えることができる想像力がこれからの教養の重要な要素である。
(2)東西の冷戦構造の崩壊後,グローバル化が進む中で,他者や異文化,更にはその背景にある宗教を理解することの重要性が一層高まるなど,世界的広がりを持つ教養が求められている。そのためには,幾多の歳月を掛けてはぐくまれてきた我が国の伝統や文化,歴史等に対する理解を深めるとともに,異なる国や地域の伝統や文化を理解し,互いに尊重し合うことのできる資質・態度を身に付ける必要がある。世界の人々と外国語で的確に意志疎通を図る能力も求められる。
(3)科学技術の著しい発展や情報化の進展は,人類に恩恵をもたらす一方で,地球規模の環境問題,情報通信技術や遺伝子操作技術などその使い方をめぐって倫理的課題をはらむ問題をも生み出し,科学技術の進展を単純に是としてきたこれまでの価値観を問い直すことも求められるようになっている。一人一人が,自然や物の成り立ちを理解し,論理的に対処する能力を身に付けるとともに,科学技術をめぐる倫理的な課題や,環境問題なども含めた科学技術の功罪両面についての正確な理解力や判断力を身に付けることは,新しい時代の教養の基本的要素である。
(4)時代がいかに変わろうとも普遍的な教養がある。かつて教養の大部分は古典などの読書を通じて得られてきたように,読み,書き,考えることは,教養を身に付け深めるために中心的な役割を果たす。その礎となるのが,国語の力である。国語は,日常生活を営むための言語技術であるだけでなく,論理的思考力や表現力の根源である。日本人としてのアイデンティティの確立,豊かな情緒や感性の涵養には,和漢洋の古典の教養を改めて重視するとともに,すべての知的活動の基盤となる国語力の育成を,初等教育の基軸として位置付ける必要がある。
(5)教養を形成する上で,礼儀・作法をはじめとして型から入ることによって,身体感覚として身に付けられる「修養的教養」は重要な意義を持っている。このためにも,私たちの思考や行動の規範となり,教養の基盤を形成している我が国の生活文化や伝統文化の価値を改めて見直す必要がある。
【資料 1-2-2】
第3章 どのように教養を培っていくのか
(2)具体的な方策・・・2)確かな基礎学力を育てる・・・2.国語教育や読書指導の重視
国語教育を格段に充実する必要がある。その際,名文や詩歌等の素読や暗唱,朗読など,言葉のリズムや美しさを体で覚えさせるような指導の良さを見直すべきである。また,近年多くの学校に広がっている「朝の10分間読書」は,読書の楽しみを知るだけでなく,集中力の向上などにも大きな成果があると言われ,このような活動が更に広がっていくことが期待される。併せて,司書教諭の配置やボランティアの活用,情報機器の整備などを通じ,図書館の総合的な機能の充実に取り組んでいく必要がある。

 

ここで気が付くことは、新しい時代に求められる教養の要素として以上の5つの点を重視したとあるが、(4)での国語の位置づけが他とは異なっているように思われることである。すなわち、国語と国語力の違いがはっきりしてないこともさることながら、それらが教養の要素そのものなのか、それとも教養を培うための礎にすぎないのかということである

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