~現在生起している出来事をどう教えるか~
時事問題のレベル
中学校の定期試験では多くの学校が時事問題を出題する傾向がある。社会科が主流だが理科や保体でも出題する学校がある。
ただし、出題の内容をみると、がっかりさせられる場合が多い。その原因は、教師の力量と生徒の知識のなさに由来していると推察されるが、これでは本当の学力などつけられるはずがない。なぜなら、教師の勉強不足は自ずと授業内容の劣化を招くし、生徒のレベルに合わせた問題を中心に試験するのは、ますます生徒のレベルを下げることになるからである。
では、われわれは時事的問題をどのように取り扱ったらよいのだろうか。
今から100年前の出来事
例えば、時間を一世紀遡ってみよう。1904年である。もしこの年に自分が中学生であったと仮定すると、日本の近代史において最も重要な出来事に居合わせたことになる。そう、「日露戦争」である。この年の2月に始まり翌年の9月のポーツマス条約で終結したこの戦争は、その背後にヨーロッパ列強(帝国主義)の思惑が大きく絡んでいた。
わかりやすくするためにその概略を記そう。
先ず、ロシアには、アジアでの権益をめぐってイギリスと対立するフランスが資金援助を行っていた。
また、ロシアは満州をめぐってアメリカとも対立していた。
他方、日本には、ロシアの南下政策を食い止めアジアでの権益を確保しようとするイギリスが、アメリカとともに、戦費19億8千万円のうち12億円を外債の形で資金提供していた(このことは、日露戦争が「借金戦争」だったことを示している)。
このようにみてくると、この戦争が単に日露両国だけの事情で勃発したのではなく、ヨーロッパ帝国主義の思惑と深く関連していることがわかる。しかも、表面上は日本が勝ったようにもみえるため、当時の日本国民はポーツマス条約の内容に不満を持つ国粋主義者たちの扇動に乗ってしまい、日比谷焼き討ち事件まで引き起こしたが、内実はこれ以上の戦費調達が不可能であり、レフェリーストップを期待していたのが日本の実状であった。
同様に、ロシアはロシアで国民大衆の専制政治と戦争に対する反抗が高まり、革命の波が高まっていた。さらに、フランスはこれ以上の援助を望まなくなっていた。
100年単位で歴史を振り返る
以上、日露戦争をめぐる重要な要素だけを抜き出してみたが、ここで問題は、当時のこの戦争に接した日本国民が、どの程度こういう日本の実態を知っていたかということと、この戦争の結果、日本が今後どういう方向へ進むことになるかという予想をしていたのだろうかということである。
前者については、情報媒体がいまとは比べ物にならないほど限られていたことと、政府が徹底して情報を公開していなかったことから、ほとんど政府の発表だけを信じさせられていたといってよい。こういう状況下では、後者の問いに対して予想などできるはずが無かった。
その結果、司馬遼太郎をして嘆かせる羽目に陥ってしまうのである。
すなわち、日露戦争後の日本は、新しい勢力圏となった南満州・韓国の経営に乗り出し、1906年には南満州鉄道会社を設立し植民地経営の中核としてゆく。そして、ついに1910年には日韓併合へいたる。このようにして、日本は中国・朝鮮民衆に対する植民地支配の主役に成長していった。その結果、国家主義の精神を強め、しかも、民主主義とは無縁な国家主義が支配的となり、さらには、外国に対する軍事的進出を国家の根本目標とする軍国主義的傾向が成立していったのである。
その後は、第一次世界大戦(1914年)やロシア革命(1917年)などの日本に有利な客観的状況も追い風となって、本格的な中国やアジアへの侵略が始まるのである。
100年単位である出来事(事件といってもよい)を振り返ると、これはもう明白な歴史的事実であると認識できる。100年といわずとも59年前の1945年であっても大きな歴史的事実となる。
歴史は現在的である
このようにみてくると、10年ちょっと前のバブルの崩壊期から顕著になってきた経済の自由化・規制緩和の導入は、これまでの日本を根底からひっくり返すほどの歴史的出来事だったことがいずれ分かるに違いない。
同様なことを世界史的に見れば、アメリカが現在行っているイラク侵略戦争とそれに加担している日本の評価も、いずれ歴史的に判定されることだろう。
その際絶対に抜かしてはならないことは、戦争の理由付けと目的である。「大量破壊兵器があるからイラクを攻撃する」といいながら、それが存在しないことが明白になってもその理由付けをすり換えて戦争を続行し、自国の価値観を他国に押し付けようとする事実である。これらの事実は、今日もニュースとなり、マスコミという媒体を通じてわれわれに届いている。
歴史という科目を教え、学ぶ態度とは
塾でも学校でも歴史という科目を取上げるときに大切なことは、歴史の年表を教え込むことではなく、歴史とは何か、それをどのように考えるか、その視点は何か、ということである。それを生徒がわかるためには、今起きている出来事を題材にして、色々な角度から物事を見る態度を考えさせるのも一つの方法である。そのためには、塾長や教師の豊かな教養が要求されるのだが。
歴史は、過去の出来事を暗記するためのものではなく、現在のわれわれが過去の出来事から何を学ぶか、言い換えると、現在の直面する課題を解決するために過去から教訓を引き出すための極めて現在的なものなのである。