塾教育研究会(JKK)代表 皆倉 宣之
はじめに
国語という教科は他の教科と異なり、教える側(教師)にとっても、教わる側(児童・生徒)にとっても、どこか焦点が定まらず不完全燃焼の気分を拭い去ることのできない部分が多いのではないか。特に教わる側(児童・生徒)にとってはその感が強い。このことを、国語教師はどのくらい感じているであろうか。少々長くなるが、教わる側の心情を引用してみる(苅谷夏子さんの回想)。
【資料 1-0-1】 苅谷夏子さんの回想 どうも国語はなまぬるい 小学生の頃、私は国語という教科が好きになれなかった。苦手というわけではない。どちらかと言えばまじめな、一生懸命な子どもであったから、言われれば漢字の練習もする。辞書をひいてことばの意味を調べたりもする。国語の教科書を読むのもけっこう好きだった。それでも、高学年になった頃から、どうも国語は好きじゃない、と内心思っていた。あのころどんなふうに考えていたか、思い出してみる。 算数や理科はいい。きのうまで知らなかったことが、今日はわかったり、納得できたりする。このページを勉強し終えたときに、何がわかっていればいいのか、小学生の目にもそれははっきりとしていた。何をすればいいのかさえわかれば、勉強もそれほど辛いことではなく、前向きな気持ちで取り組むことができる。順序立てて考えないと答えが得られないような算数のこみいった問題を、苦心の末に解いたときなどは、それは晴れ晴れとうれしかった。もうこれが正解に決まっていると、自分でもわかる。そういう明快さは心地よいものだ。もちろんむずかしすぎてわからないこと、高級すぎて先送りにするしかないことも山ほどあったが、それでもいつかはきっと理解できる日がくるだろうと思っていた。勉強して、進歩する、というイメージを描くことができた。この進歩のイメージは、小学生にはうれしく、輝かしいものだった。 でも国語はちがう、と、11~2歳の私は思っていた。漠然とではあったが。 どうも国語はなまぬるい。そもそもこの日本語ということばならば、もうけっこうよく知っている。生まれてすぐから、この言葉を聞いて育ち、毎日それを使って人と話をし、新聞や本を読んだりすることもできる。そうしたことが国語の力なのだとしたら、いつのまにかそれくらいのことはできるようになっていた。たいして国語の授業のお世話になぞなっていない。新しい漢字や、ちょっとむずかしそうなことばを、教科書の順に従って習ってはいるが、そんなのは大したことじゃない。私は不機嫌にそう思っていた。 子どもの頃は、自分でもわけがわからないうちに、なんとはなしに不機嫌になることがあったものだ。たとえばあんなに楽しみにしていた正月、お雑煮を食べ、お年玉をもらってしまうと、みるみる風船がしぼむように何かが消え失せ、不機嫌な気持ちがわいてくる。そういう気持ちの変化を、その頃は説明もできず、自分でも持て余していたものだった。周りの人も困ったことだろう。だが、大人になってから思い返してみると、ただのわがままとばかりは言えない、もっともな原因がちゃんとあったりする。ある程度はしかたのなかったことだったりする。そして国語に対する不機嫌にも、それなりの理由はあったのだ、と大人になった私は、小学生の頃の自分を守ってやりたくなる。 授業のありがたみがわからない たとえばまず、教科書の文章を順々に読んでいって、新出漢字と語句を覚え、短文を作り、段落ごとに要旨を二〇字以内かなにかで書き、主人公の気持ちの変化を表にする、そういうことをひたすら延々と繰り返すことに、私はすっかり飽きていた。いかにもつまらなそうな棒読みで一段落ずつ交替に音読していくのも、決まった作業だったが、はじめて読んだときには面白くて思わず引き込まれたような文章も、そんなふうにして読むと面白くもなんともない。あれでは書いた人が気の毒なくらいで家で一人で読んだほうがよほど楽しい。そういう決まったルーティーンを繰り返しながら一編ずつ文章を読んでいく授業が、なんともいえず退屈だった。 その上、くりかえされる授業がいったいなんの勉強になるのか、いつもよくわからなかった。教科書の文章そのものを心に留めておくようなことはめったにない。せいぜい、いくつかの漢字を覚えるというような些細な前進しか、実感できずにいた。 それから、問いに対しての正解の基準が、しばしば釈然としなかったのは、大きな不信のもとになった。特に文学作品が教材だったときには、当たるも八卦、当たらぬも八卦、というような感じである。自分の答えが正解であったとしても、もともとが勘を頼りに答えただけなのでそううれしくもない。誤答であっても、では次からはどうしたらいいのかわからない。せっかく自信を持って答えられるような問いがあっても、そういうときは一転してあまりに自明な問題だったりして、逆に、いったい何が聞きたくてこの問題はあるのだろう、と出題の意図を疑いたくなる。じっくりと考えた末に、根拠を持って答えて、堂々、正解に達するという達成感が希薄なのだ。 詩の解説などを読む折には、詩というものはとうてい自分には理解できない、手が届かないものだとまで思わされてしまうことが多かった。「第二連では、自然にわき出るようなあこがれが表されている」などと解説されても、いったいどこにそんなことが書いてあったのか、どうして自分には、まるでそれが伝わってこないのか、情けなくなってくる。そのたびに少しずつ自信をなくしていくのだ。 登場人物の心情を汲み取りながら読む、というような学習も、苦手だった。今思えば、ウエットな心情論をあやふやに言い合うことを、漠然と疑っていたのだろう。「行間を読む」という読書法は、ひとつ間違えれば眉唾物ではないか。実際、常識や道徳的な判断までが入り乱れてしまい、授業がしばしば混乱した。どうも、これは「勉強」というものとは少しちがうぞ、と私は内心思っていた。 だいたい、新しいことばに出会って、妙に気に入り、一度で覚えて使ってみたりするのは、たいていは国語の授業とは関係のない場面で起きるのではないだろうか。そういうときは、不思議にちゃんと間違いなく覚えられ、うまく使えるものなのだ。だからよけいに、国語の授業のありがたみが感じられない。唯一、存在感のあった「新出漢字」ですら、あまり習ったという気はしない。自分で努力して覚えただけのことである。 そんなこんなで、不機嫌だったのだ。生意気ではあるが、まあ同情できる点も多いではないか。こんな心境で教室に座っている子どもは、日本中に今もたくさんいるのではないだろうか。おとなしく座って授業に参加しているのは、おとなしくしていようという健気な気持ちがあるからで、純粋に向学心からそうしているのではない。残念なことではあるが、しかたがない。私の不機嫌も容易にはなおらず、私にとって国語という教科は、わけのわからないものであり、同時に甘っちょろいものだった。 (大村はま/苅谷剛彦・夏子共著『教えることの復権』(ちくま新書)より)
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もっとも、このことの核心は「国語科で何をどのように教えるのか」ということに直結するが、この点については次回に考えることにする。
さて、ここ3~4年の間、国語もしくは国語力(これに「読書」を含めて国語問題と呼ぶことにする)に関する国の関心が高まっている。以下に述べるように各種の審議会が国語問題を取り上げ、答申という形で発表している。
その背景には、グローバル化の進展に必然的に伴う日本若しくは日本人としてのアイデンティティの喪失の恐れに対する日本国家の恐怖(?)と対策という側面が読み取れる。そればかりではなく、「読書」という形をとって青少年対策、さらには子育て支援に至るまでその射程距離は広くて深い。
そこで、今回は、国がなぜあちこちで国語の重要性を説いているのか、その動きを拾ってみたい