わが国の学校のうち、小中学校自体はそれほど受験競争に巻き込まれていない。つまり、小中学校が受験のための授業や対策を採るようなことはない。もっとも、中学において中三生の高校受験を前にして、進路指導という名目の下で受験に関する情報を与えたり、業者の模擬テストを導入したりしてはいる。だが、進学指導や模擬テストに関しては、生徒や保護者にとっては、塾などの学校外の方が信頼性が高いというのが現実である。

なお、全国学力テストの結果を重大視する都道府県においては、学校を挙げて成績を上げようと奮闘するところも出てきている。

 

問題は高校である。大学入試の合格実績という画一的物差しで高校の優劣を決めると言うわが国の社会通念の下では、中学入試で選抜し中高六ヵ年を通じた受験を念頭に置いた授業を行っている私立の中高一貫校の側に軍配が上がるのは当然のことである。そのことを中学入試においてことさらに強調し、公立高校では難関大学入試は突破できないという宣伝文句は、世の親たちへの強烈なメッセージとなってゆく。それはやがて、政治問題化する。「おらが県の東大合格者数は何でこんなに低いんだ」といった議論が、九州の県議会で取り沙汰されたのは有名な話であるが、これは一定の真実を突いている。なぜなら、県民の立場に立てば、多額の公費を費やしているのに公立高校の合格実績があまりに低いのは、学校現場が弛んでいるのではないかという不満がでてくるのは当然のことだろう。公立の復権はいわば都道府県教委の合言葉なのである。

 

そこでトップバッターとして登場したのが豪腕知事をいただく東京都教育委員会である。都教委は、特色ある学校づくりの一環として進学対策を充実させるため、平成十三年九月に「進学指導重点校」として、日比谷高校、戸山高校、西高校、八王子東高校の四校を指定し、その後も次々と進学対策を打ち出している。

その際、これまでタブーとされてきた予備校の活用がおおっぴらに謳われている。すなわち、つい最近に決定された「都立高等学校学力向上開拓推進事業について」によると、外部機関による進学指導診断を行うとして、その目的を「都立高校における進学指導のマネージメントの定着を図るため、進学指導に関する専門的な知識を有し、学校に対して進学実績の向上に資するアドバイスを行うことのできる進学指導アドバイザーを学校に派遣し、進学指導診断を実施する、としている。

気持ちを汲んでのことだろうが、一方では私学を意識していることも隠せない。そうなると、公私双方の受験競争がますます激化し、それに逆比例してますます本来の高校教育は希薄化され、その存在意義はなくなってゆくだろう。

 

かくして、公立を巻き込んでのますますの一流大学への受験競争は、高校受験、そして中学への受験競争の激化をまねいてきている。

これらの流れを直視すると、公立高校の民営化路線と同時に、私学化現象が生じているということではないだろうか。つまり、公立と私立の設立の理念或いは建学の精神などといったものはとっくに消えてなくなり、残るのは大学合格実績だけという状態である。それゆえに、どの高校を選択するかという受験する側の基準はと言えば、ただただ大学合格実績のみということになる。

 

一方において、このような進学競争とは全く無縁な高校(特に公立)が存在する。いわゆる教育困難校(課題集積校)といわれる高校の存在である。

このような実態が生じた背景には、具体的には、

  • 「進学実績向上のための経営戦略の診断」として、校長、副校長を対象として、内容として学校が目指す進学指導のあり方、進学実績向上に向けた具体的な取組及び進学実績の状況等について診断及びアドバイスを行う、
  • 次に、進路指導部の構成員、学年進路担当者を対象とした「進学指導体制の診断」を行い、
  • 最後に、「指導力向上に向けた教科指導の診断」として、国語、数学、英語の各教科それぞれ二名の教員と、地歴公民及び理科のうち一教科について二名の教員を対象として、教科の指導方法、学力の最終到達目標達成に向けた授業の妥当性、授業の評価及び大学受験への動機付け等について診断及びアドバイスを行うことになっている。

ところで、都教委がいうところの進学指導アドバイザーとは一体誰だろうか。なんと、河合塾、駿台予備学校、ベネッセコーポレーション、代々木ゼミナール四社の外部講師と明記されている。日本の教育を実質的に牛耳じっているとも言われている最強の民間教育産業である。

しかしながら、ここまで民間教育産業に頼りきってしまうのは、公教育の放棄ではないのかと不安になる。受験に気をもむ親たちの試における偏差値による輪切りと、バブル崩壊時から急速に起きてきた所得格差(勝ち組と負け組みという分類もある)の増加がある。

そこでは、家庭の経済力が教育環境の優劣を規定し、それが即学力と結びつている。そこから学力の二極化が始まる。二極の下層から上層への対流は、家庭の経済力においても学力においても、もはや極めて困難化しつつある。

このようなことは、公教育の現場(高校現場)にも大きく影響を及ぼしている。例えば、エアコン設置率、授業料免除率、退学率、部活加入率etc.などから見えてくる学校における格差の存在と、それらが教育環境という側面から生徒たちに及ぼす負の側面である。

千葉県の場合、エアコンの設置については県は何も対応していない。したがって、学校ごとに独自に親たちが金を出し合ってエアコンを設置している(月に千円ぐらいの負担になるだろうか?)。しかし、その負担に耐えられない家庭がある。そういう家庭の子どもが多く通っている高校では、当然のことながらエアコンは設置はできない。かくて、空調の効いた涼しい教室で勉強できる生徒と、温室のような教室で勉強している生徒との間の学力は開くばかりである。

ところで、このエアコン設置率からみえてくる驚くべき結果がある。それは、エアコンを設置している高校と設置していない高校との双方を高校入試時の受験偏差値のグラフ上に重ねてみると、偏差値五十ぐらいから上位の高校にはエアコンがあり、それより下位の高校にはないという事実である。この現象は、他の授業料免除率、退学率、部活加入率ともほぼ一致する。エアコンがない、授業料免除者が多い、退学者が多い、部活加入者が少ないという事実は何を物語っているのだろうか。

このような貧困家庭層の増大は、高校での授業料免除の急増、公立小中学校における就学援助の受給率の急増となって表面化しているが、そのほかにも目立たないけれどもいろいろな形をとってその困難な状況が起きている。例えば、親や周囲に進路相談のできる人がいないとか、高卒で就職するには免許が必須であるが、教習所へ通う金がないので免許が取得できずに就職ができないとか、遠くまで会社面接に行くには交通費が必要となるがそれがないために就職できない、といった嘆きなどである。ここには、「私」と「公」の双方から見捨てられた生徒たちがいる(ここでは、教育と福祉がせめぎあっているといえる)。

そして、彼らには塾も予備校も通信添削も無縁なのである。ここには、民間教育産業の限界とその本質があらわになっており、公教育の充実の必要性が逆照射されてくる。

 


1.はじめに

2.学習塾の現状

3.学習塾はなぜ存在しているのか

4.民間教育産業と公教育の市場化

5.学習塾から見えてくる日本の学校

6.学習塾(民間教育産業)の存在が引き起こしている課題

7.日本の教育をよりよくするに(一つの提言)