このメッセージは、15年ぶりに京葉学舎を紹介するためのものです。この間塾のチラシが氾濫する中で、わたしたちは時代の転換期の教育の在り方をずっと考え続け、国の教育改革の推移も見守ってきました。しかも、なお変動中です。

とはいえ、絶えず変動してやまない国内・国外(世界共通)の状況が求めている教育の中身が徐々に見えてきつつあります。

それを一言で言い表しますと、子どもたちは「変化に対応できる能力」を身につける必要があるということです(生涯学習の流れとも関連しています)。

ですから、塾通いが、自ら考えることをやめ、パターン化した思考を持つ子どもたちを大量生産している、という批判には理由があるのです。

なぜなら、グローバル化と情報化が混合した変転極まりない今の時代には、日々発生する無数の事柄(情報)の中から、課題を見つけ、分析し、解決し、表現するといった能力が不可欠だからです。

日本の子どもたちにこの能力が不足していることを証明したのが、2004年の暮れに発表されたOECDが実施したPISA(国際学習到達度調査)の結果です。

このテストが要求する能力に対し、日本の15歳(高校1年生)たちの順位は、41カ国・地域中14位だったのです。これは1位のフィンランドと比較してみれば分かることですが、いわゆる「ゆとり教育」による授業時間数の減少が招いた結果というよりは、総合学習の時間が充実していなかったことからくる「変化に対応できる能力」不足に由来しているとみるべきでしょう(学力の二極化については別の機会に触れます)。

このような世界の流れを受けて、都道府県・市立を中心とする公立の「中等教育一貫校」の中学入試の問題(一般に「適性検査」と呼ばれています)に変化が起きています。まさにPISAの中学入試版といった内容の問題なのです。

ですから、これまでの私立中学入試対策ではこれに対応できないと思われます。

京葉学舎は、以上のような世界や社会の変化を読み取り、それに対応できる能力を子どもたちが身につけられように、あらゆる努力を続けてゆきたいと決意を新たにしております。

 

私たちの想いと実践

いま中学1年生の子どもは10年後、小学1年生は16年後に、大学を卒業して社会へ出てゆきます。

みなさんは、いまから10年後、16年後の社会がどのようなものに変わっているか想像できますか。

よく昔の一世紀がいまは10年に縮まったと言われたりしますが、そういうスピードで世の中は変化しています。そういう社会を子どもたちが生き抜いてゆくことの大変さを想うと、なんとかして自信を持って社会へ出てゆける能力をつけてあげたいと思うのです。

それゆえに、目先の、すぐに剥げ落ちてしまうような成績(見える学力)よりも、その時には意識されていないけれども知の意識されている部分の背後にあってそれを支えている力(見えない学力=暗黙知)の方を重視した授業を展開したいと考えています。

そのために、すべての子どもたちに生まれつき備わっている神秘さや不思議さに目を見張る、さまざまな情緒や豊かな感受性を育てることにも注意を払ってゆきます。

なお、最後にお願いがあります。それは、わたしたちが他の塾と異なり、すべての教科の基礎をなし、学力の基底を構築している国語力を確実なものとするために努力を払っていることに対して、十分なご理解とご協力をいただきたいと言うことです。中身は授業の中で明らかにしてゆきます。

 

美しいものを美しいと感じる感覚を大切にしたい

子どもたちの世界は、いつも活き活きとして新鮮で美しく、驚きと感激とに満ち溢れています。

もしも私が、すべての子どもの成長を見守る善良な妖精に話しかける力を持っているとしたら、世界中の子どもに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不思議さに目を見張る感性」を授けて欲しいと頼むでしょう。

妖精の力に頼らないで、生まれつき備わっている子どもの「センス・オブ・ワンダー」をいつも新鮮に保ち続けるためには、私たちが住んでいる世界の喜び、神秘さなどを子どもと再発見し、感動を分かち合ってくれる大人が、少なくともひとり、そばにいる必要があります。

私は、子どもにとっても、どのようにして子どもを教育すべきか頭を悩ませている親にとっても、「知る」ことは「感じる」ことの半分も重要ではないと固く信じています。子どもたちが出会う事実のひとつひとつが、やがて知識や智恵を生み出す種子だとしたら、さまざまな情緒や豊かな感受性は、この種子をはぐくむ肥沃な土壌です。幼い子ども時代は、この土壌を耕すときです。

美しいものを美しいと感じる感覚、新しいものや未知なものに触れたときの感激、思いやり、憐れみ、賛嘆や愛情などのさまざまな形の感情がひとたび呼び覚まされると、次はその対象となるものについてもっとよく知りたいと思うようになります。そのようにして見つけだした知識は、しっかりと身につきます。

消化する能力がまだ備わっていない子どもに、事実をうのみにさせるよりも、むしろ子どもが知りたがるような道を切り開いてやることのほうがどんなに大切であるかわかりません。

【レイチェル・カーソン(1907~1964)】(『センス・オブ・ワンダー』より引用)