1.はじめに
民間教育機関の一つであるわれわれ学習塾は、憲法が保障する営業の自由に基づいて自由な営業活動(主として教育活動)を行っている職種である。したがって、高邁な理想(例えば、日本の教育をよくするなどという)を高く掲げてその実現に情熱を傾ける義務と責任があるわけではない。そこにあるのは、市場経済原理に基づく明確な経済合理性の追求だけである。近年ますますその傾向が強まっているようにさえ思われる。それゆえに、現在する実態としての学習塾は語ることができても、日本の教育全体の中でどのような価値を付与できるかというような、その未来についてはなかなか語ることが困難である。
にもかかわらず、いま私がこのようなテーマを掲げたのは、我々が深く関わり何らかの影響を結果的に及ぼしている公教育との関係で、その関係の現状を確認し議論し、その中から何らかのよりよい方向へのヒントが見えてくれば、公教育と学習塾の双方にとって歓迎すべきことだと思われるからである。
その視点に立ってここでは、先ず、我々学習塾の現状を確認し、次に、我々のよって立つ根拠は何か、つまり学習塾はなぜ存在し得ているのか、その論拠は何かを探り、さらに、そこからわれわれ学習塾(民間教育機関)が今日の日本の公教育にどのような影響を及ぼしているか検証し、その功罪を論じてゆきたい。そうすることによって、そこから何を教訓として汲み取れるかを探り、最後に、学習塾の未来と展望へと繋げてゆければと思っている。
《注》本稿では場面に応じて塾、学習塾、予備校、民間教育産業、教育企業、私企業などと、様々な用語を使っているが、これは厳密な使い方ではない。
強いてこれらの用語の区別をすれば、学習塾は主として小学生と中学生を対象とし、塾生二~三十名の個人塾から数万人を擁する大手法人塾までを含み、学校とほぼ同一内容の授業を行って、学校の補習や中高受験のため需要を満たすことを目的としている。他方、予備校は主として大学受験の需要を満たすためのもので、高校生や浪人生が対象である。
これらに対して、民間教育産業、教育企業、私企業などは主として大手の通信添削事業者や教材会社、それに予備校などを含む概念である。もちろん塾を含めて公教育以外の機関で教育に携わるものは全て民間であるので、大手だけを指す場合が多いものの、塾を含む場合もある。
それゆえに、読者の皆さんは適宜文脈から意味を抽出して理解してもらいたい。要は「公」教育の部類に入るのか、「私」教育の部類に入るのかが明確になっていればそれでいいとの前提に立っている。