「ごまかし勉強」が招いた読解力低下
世界は先の見えないいわば羅針盤のない行き先不透明で多極化した時代に入りつつあります。テロ、貧困、地球温暖化、エネルギー危機、食糧とエネルギーの争奪戦、いろいろな格差の出現、BRICsの台頭などなど。このような状況を受けて、世界の「学力」観も大きな変化を遂げつつあります。それを伺い知ることの出来る代表例が、国連の機関であるOECDが3年ごとに行う国際学力到達度調査(PISA)に見られるテストの内容です。日本は前回の調査で読解力が3位から14位に転落し大きな国内問題となりましたが、それは世界が求める学力に日本が乗り遅れているからにほかなりません。限られた範囲の中の知識を他との脈絡なしに暗記していさえすればいい成績がとれるということの結果でもあるのです。
これからの時代に求められる学力とは何か
では、世界が求めている学力とはどのようなものでしょうか。端的にいいますと、「求められている学力は知識の量ではなく、社会で役立つ実践力や応用力や思考力だ」といってよいでしょう。その背景には、この複雜極まりない決まりきった解答などない21世紀の国際社会においては、「中味の固定した応用力のない知識は死んだ知識」であり、足りない知識は必要の都度調べれば済むことであり、むしろ大切なのは問題を解決するために複数の多様な人間が協力して何かを創造できる能力である、といった思想が横たわっているのです。このような学力を日常の学校教育の中で育てているのが、フィンランドの教育です。
変わりつつある日本の入試
日本でもようやくこのような世界の流れに乗る動きが出てきつつあります。その一例が、公立中高一貫校の附属中学入試で採用されている「適性検査」です。ここでは、一般の私立中学入試で出題されるような知識確認的な内容の問題ではなくて、ある程度の基礎知識を前提にして、それを如何に利用し組み立てて課題を解決してゆけるかという能力をみようとしています。この流れを発展させたいものだと考えます。
なお、最近の都内の最難関校といわれる私立中学の入試問題にも変化が生じつつあります。択一選択型から記述式型へ移行しつつあり、そこでは「あななたの考えを述べなさい」とか「あなたの経験を踏まえて述べなさい」という形で、自分の考えをはっきりとさせそれを表現させる方向にあります。
また、先般実施された国の全国学力調査における問題にも、PISAの問題を意識した問題が多数含まれていました。いよいよ「ごまかし勉強」追放の日は近くなりつつあります。

京葉学舎が育てようとしている学力=生きる力

いま中学1年生の子どもは10年後、小学1年生は16年後に、大学を卒業して社会へ出てゆきます。みなさんは、いまから10年後、16年後の社会がどのようなものに変わっているかを想像されたことがありますか。よく昔の一世紀がいまは10年に縮まったと言われたりしますが、そういうスピードで世の中は変化しています。この変転極まりない世界を子どもたちが生き抜いてゆくことの大変さを想うと、なんとかして自信を持って社会へ出てゆける能力をつけてあげたいと思うのです。それゆえに、目先の、すぐに剥げ落ちてしまうような成績(見える学力)よりも、その時には意識されていないけれども知の意識されている部分の背後にあってそれを支えている力(見えない学力=暗黙知)の方を重視した授業を展開したいと考えています。
具体的には、教科書に出てくる基本的な「概念」を徹底的に理解させ、その上で何が課題なのか、その課題を解くにはどう考えればよいのか、それをどうやって表現するのか、といたっことを教師と生徒との間のやりとり(問答法または産婆法)を通じて、考えることを深化させてゆきます。その際、フィンランドメソッドといわれる
発想力
論理力
表現力
批判的思考力
コミュニケーション力
なども導入してゆきます。これらは、いわゆるメディアリテラシーといわれている情報の読み取り方とも通じるものであり、21世紀の情報化社会を生き抜く基礎基本となるものだからです。
そのためには、すべての子どもたちに生まれつき備わっている神秘さや不思議さに目を見張る、さまざまな情緒や豊かな感受性を育てることにも注意を払ってゆく必要があります。月に1~2回、土日には教室を飛び出して、博物館や図書館や美術館、泉自然公園や青葉の杜公園や三番瀬、佐倉市にある国立歴史民族博物館などの催しなどに参加することにより、教科書を超えた情報を獲得してもらいたいと考えています。

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