‘02 塾長日記&エッセイ’ 一覧

ことがしょうじたらば まずはおのれをかえりみよ
2003-06-04

つい先日のこと、JR総武線・新検見川駅の改札口で面白い光景を目撃した。
朝のラッシュを過ぎた時刻に、理知的な顔をした壮年の男性が、いまはやりのスイカとかいうカード状のものを改札機の画面にタッチして、さっそうと通過しようとした。
ところが、ピッピッピッピー ピッピッピッピー と機械が鳴り響きだした。その男性は、ちょっと慌てたようであったが、そこは持ち前の冷静さゆえか、平然として隣の改札機でやり直しを始めた。多分1台目の改札機は故障中と判断してのことと推察された。
ところが、2台目の改札機もピッピッピッピー ピッピッピッピー と鳴り出した。
これには冷静さがうりものの男性もさすがに感情が高ぶってきたらしく、機械をあきらめて、監視している駅員を見つけると、そちらの方へと足を向けた。
「改札機が僕を通さないのですが、故障中なのですか」と、さすがに高校3年生の英語の授業でもしているのであろうか、英語特有の無生物主語を用いて冷静に駅員に尋ねた。
「いいえ。カードを見せてください」。待ってましたとばかりに、その男性はやや緑がかったカードを駅員に見せた。
「ああ~、これは違うカードです」。その瞬間、その男性の中の何かが崩れてゆくのを私は感じた。
後日伝え聞いたところによると、この男性は緑がかった郵便局のカードをスイカと間違えて使用してしまったらしい。10数枚のカードを同じ入れ物に突っ込んでおくことが、混乱を引き起こすもとか。
それを見かねた娘が「父の日」を繰り上げて、定期券入れなるものをプレゼントしてくれた、というおまけ話もあるそうな。
ちなみに、この男性は、数年前、富士銀行で通帳を使って入金しようとしたとき、その通帳を機械が受け付けてくれないので、係員に文句をいったら、その通帳は住友銀行の通帳だったらしい、というエピソードの持ち主でもある(やはり通帳の色が似通っていたためらしい。しかも、娘の目の前で。恥をかいたのは娘か本人か?)。
それにしても、兼好法師がこの様をご覧になったら、この男性をなんとお諭しなさることでしょう。「ことがしょうじたらば まずはおのれをかえりみよ」か?
大いに反省したい。

読書の意義って何?
2003-04-21

塾教育研究会(JKK)代表 皆倉宣之

依然として子どもたちや若者たちの読書離れが各方面から危惧されている。ケータイ(携帯電話)の急激な普及はますます読書の時間を奪い、より一層の読書離れを加速しつつあるように思われる。では、読書はなぜ必要なのだろうか。つまり、読書にはどのような意義があるのだろうか。
こういう状況の中で、2001年12月に「子どもの読書活動の推進に関する法律」が制定された。この法律は読書活動の意義を「子どもの読書活動は、子どもが、言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことのできないものである」と述べている(第2条)。
他方、国語との関連から読書に触れたのが今年1月文化審議会国語部会が発表した「これからの時代に求められる国語力について―審議経過の概要―」で、そこでは「読書は、国語力を形成している<考える力>、<感じる力>、<創造する力>、<現わす力>、<国語の知識等>のいずれにもかかわり、これらの力を育てる上で中核となるものである。
また、すべての活動の基盤である<教養・価値観・感性>などを生涯を通じて身につけていくために不可欠、というより、読書なしに教養等を形成していくことはあり得ないと言えるくらいに重要なものである」と述べている。
なるほど、抽象的には子どもたちが人生をより深く生きていくのに必要な力の源となるのが読書であり、教科的にはそれは特に国語力の形成の中核となるものである、というのは間違いではない。国語力が英語や数学といった他の教科の理解に不可欠だといわれていることも再確認すべきだろう。
問題は、このような各種の審議会の答申や報告が、国をあげて実効を担保されることが少ないということである。理想は高く誰でもが納得する論ではあっても、予算等の具体的裏づけなしではあまり期待はできない。
さらに、現実には、塾や予備校のみならず学校教育の現場においてさえも、受験というファクターが加わって受験のための読書の勧めが横行しがちで、なかなか本来の意味での子どもたちの読書を指導できない。そのことが逆に子どもたちの読書嫌いを引き起こしているのは、実に悲しいことである。

これがふるさとなんだと穏やかな気持ちになった
2002-02-07

加熱する「拉致」報道に潜む問題点~個人と国家、日本と北朝鮮との関わり、マスコミの偏向・能力低下、中国残留孤児、国民の無責任なポピュリズムetc.~
京葉学舎 皆倉 宣之
まさか?信じられない、と思うようなことが世の中には生じたり作り出されたりすることがある。北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)による日本人拉致行為がそれである(日本人以外も対象とされていたらしい)。
全く偶然にたまたまそこに居合わせたばかりに、突然袋に入れられて行く先不明の所へ小さな船で運ばれていくだけでその恐怖たるや極限に達するであろうに、その後24年間も国家の手で拉致された状態は、当人たち以外の者の想像を絶する精神的苦痛を伴ったであろうとしかいいようがない。
それゆえに、帰国中の5人のみなさんには「ほんとうにご苦労様でした」と心からねぎらいの言葉をさしあげたい。
また、子どもさんたちとの再会を一刻も早く果たせるよう日本の政府に要望したい。同時に、既に亡くなれた方々のご冥福をお祈りいたしたい。さらに、まだ不明の方々の消息を北朝鮮が誠意をもって調査し報告することを要求したい。
ところで、この2か月間(注:2002年12月)のこの拉致問題に関する世の中の動きをみていて感ずるところが数多くあった。
たとえば、
マスコミの画一的同時的非論理的偏向的報道
個人よりも国家を上に置く思想の氾濫
マスコミに迎合する大衆ポピュリズムの発生
国交正常化と歴史認識の欠如
中国残留孤児・残留夫人問題の放置と日本国の責任
等々である。
これらのことについて書いてみたいと思っていたのであるが、あと締め切りまで1時間しかないので、特に以下の2点に絞って今回は書いてみたい。
個人と国家の関係について
この拉致行為は、国内であれば逮捕監禁罪または誘拐罪を構成する被害法益が「個人」の身体の自由を侵害する行為であるが、北朝鮮の国家権力が日本に侵入し日本人を拉致した行為であるがゆえに、個人の法益以外に日本国の法益(国益)をも侵害しているという点で、世論も政府もとまどっているところがあり、それが日に日に「国益」を優先する方向へ向かっているようである。
事実、当初の予定では2週間の一時帰国という両国の約束があったのであるが、それが無期限に延期されてしまったのには、様々な要因があるとはいえ、5人の方々には子どもたちに会うために北朝鮮へ出国するという親として「個人」としての思いを我慢してもらって、後々の日朝間の国交正常化交渉を日本に有利に運ぶために先ずは北朝鮮にいる子どもたちを日本に返せという決定を下したのである。
これは、明らかに日本国の「国益」を優先したものであり、24年間の苦難を強いられた5人の方々の「個人」の利益を強引に踏みにじるものであり、その根拠が非常に薄弱である。
北朝鮮が子どもを素直にすぐに返すとは思えない(注:2007年現在、子どもたちの一部は帰国しています)。
他方、5人の方々の中からは、とにかく子どもたちと会って話をしたいというという親としての当然の気持ちが、ちらちらと遠慮がちに聞こえてくる。
これは実に恐ろしい事態である。北朝鮮憎しのあまり、一気に国威高揚運動へと持っていこうとする一派が見え隠れし、その連中の巧妙な情報操作や運動があちこちに広がり、それが世論を形成していく。いまや9・11以後のアメリカ一辺倒のアメリカ世論の日本版といった状況が醸し出されているようである。
わたしは、国民あっての国家であり、かつての沖縄戦における軍部がとった国家あっての国民という倒錯した思想によって数十万人の同胞が死に追いやられた悲劇を、二度と繰り返すべきではないと考えている。
無視される中国残留孤児(と残留夫人)問題
中学3年生の国語の教科書(光村図書出版)の第四単元「状況に生きる」の中に、安西均の「お辞儀するひと」という詩がある。今回の期末テストの範囲でもあったが、この単元を利用して学校で調べ学習としてレポート提出の課題でもあったので、わが塾ではかなり深く詳しく取り組んだ。
この詩は、18年前の第7次訪日団の一員であり不幸にも肉親を探せなかった劉桂琴さんのことを題材にしたものであるが、「推定(なんと悲しい文字だらう)44歳。『日本が私の生みの親、中国が育ての親です』と答えたきり・・・」とあるように、この人たちは自分のアイデンティティである年齢も名前もわからないまま、これからもずっと生きていかねばならないのである。
ところで、先月21日から今月4日までの二週間、中国残留孤児たち5人が一時帰国し肉親探しを行った。しかし、この方々への日本人およびマスコミの関心は無いに等しく、一人だけの身元がわかっただけで訪日調査は終わった。これに関するマスコミ報道と拉致報道とのとてつもない落差は何を物語っているのかを考えないわけにはいかない。
この人たちは、なぜこのような残酷な運命にさらされねばならなかったのか。それはこの人たちが祖国と仰ぐ日本が無謀な戦争を引き起こし、挙句の果ては指導者や上流階級だけがさっさと逃げ帰った結果、つまり、祖国に裏切られ「置き去りにされた」結果のことである。
つきつめれば、「祖国日本によって中国に拉致させられたに等しい」のである。拉致は、北朝鮮だけが行ったのではなく、日本も行っていたといってよいのではないか。
しかも、この人たちは食うや食わずの貧しい生活を強いられ、文化大革命のときは日本人ということでいじめられたりして、大変な苦労をさせられた人たちである。その数もものすごいものである。
しかも、戦後57年。これからも死ぬまで自分探しをしなければならないのである。
今回の訪日調査でただ一人身元が判明した佐藤範子さん(60歳)は、
「肉親が見つかって言葉では表現できないくらいうれしい。『佐藤範子』という名前は、なんていい響きでしょう」
と語ったそうだ。ちなみに、彼女の来日したときの紹介は「苑淑敏・女・当時3歳・日本名:範子」であった。
今月4日の離日直前に出発ロビーでは、身長145センチと小柄な素蘭さん(推定58歳)が関係者に最後まで手を大きく振り続けていた。
彼女は滞在中、
「背が伸びなかったのは、ずっと子守に追われていたせいなの。日本人の子といわれ、子供の頃から自分が孤児だとうすうす気づいていた。養父母に認められたい一心で7人の弟妹の世話をした。養父母はよく働く長女と自慢したが、心の中はいつも孤独だった」
「初めての日本なのに、これがふるさとなんだと穏やかな気持ちになった。残留孤児と認定されない孤児がいるなかで、この気持ちを味わえただけでも満足しようと思う」
「大阪で、生まれて初めて観覧車に乗って海を見た。小さいときから働きづめだったので、子どもに戻ったようにうれしかった。みんなに歓迎され、温かみを感じた」
と、語ったそうだ。
自分を裏切った祖国に恨み言の一つや二つはあるだろうに、
「これがふるさとなんだと穏やかな気持ちになった」
といってくれるとは。
それだけに、北朝鮮に拉致された人たちへの同情と支援に等しい扱いを、この中国残留孤児の人たちにわれわれはすべきだと切に思う。
そして、両者に共通しているのは、「戦争」の傷跡である。前者は日中戦争であり、後者は米ソの冷戦である。戦争はまだ続いているのである。
歴史の重みをひしひしと感じる。塾で、学校で、教師たちは歴史を子どもたちにどのようなものとして教えているのか、少々気になる。
(2002年12月7日記)

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