‘01 お知らせ’ 一覧

時代の変化と塾教育の多様性
2004-01-07

塾教育研究会(JKK)代表 皆倉宣之
首都圏の塾長たちが中心となって結成されている塾教育研究会(JKK)では、このほど15年振りに「塾教育レポート」の2001年版を刊行した。
会の発足当時、臨教審の中間報告が次々に発表されていたが、そこでの学習塾の捉え方が進学塾と補習塾という極めて一面的で通俗的なものであり、全然学習塾の実態を正確に反映したものではなかった。そこで、臨教審やマスコミや行政への啓蒙を行うために、学習塾の実態を洗い直し、いわゆる地域密着型の中小の学習塾がどのような教育を実践しているかを102のタイプにまとめて、「塾教育レポート」という形で発表したのである。
このレポートから浮かび上がってきた塾教育の特徴は、
(1)子どもや親の要望に応えるために新しいことに取り組む先駆性
(2)それらの様々な要望に直ちに応える即応性
(3)学校のように法令にとらわれない柔軟性
(4)各塾がそれぞれ独自のシステムと教授内容・方法とをもって教育を実践する多様性
という4点であった。そして、これらは今も脈々と生き続け進化しつつある。
しかしながら、その後今日までの15年という年月の経過は、塾教育に対しても大きな変化をもたらしている。すなわち、15年前の塾の授業風景はといえば、どの塾も一クラス10人から30人の一斉授業で、多量の宿題と夜更けまでの居残り勉強、五教科型、月例テスト、成績順位の張りだし、テストごとのクラス替えといった、いわばスパルタ型が主流であった。
ところが、今回では、これらの主要な部分が悉く姿を消し、代わって小人数制、さらには個別指導へ、宿題の縮減と居残りの廃止、単科主義、成績張りだしの廃止といった傾向になりつつある。さらに、DVD、ビデオ、パソコンといった教育機器の導入、NIEや総合的な学習の導入、野外体験活動、不登校児や中途退学者を受け入れるためのフリースクールの開設、インターネットや携帯電話や衛星放送を利用しての遠隔授業の導入等々、塾の個性化・多様化はますます進行しつつある。
しかし、近年階層格差が広がりつつあるといわれるわが国において、機会の平等が不十分な状態で塾が市場主義経済の原理に依拠している以上、結果の不平等を拡大させる危険性のあることに充分な注意を払う必要がある。

読書の意義って何?
2003-04-21

塾教育研究会(JKK)代表 皆倉宣之

依然として子どもたちや若者たちの読書離れが各方面から危惧されている。ケータイ(携帯電話)の急激な普及はますます読書の時間を奪い、より一層の読書離れを加速しつつあるように思われる。では、読書はなぜ必要なのだろうか。つまり、読書にはどのような意義があるのだろうか。
こういう状況の中で、2001年12月に「子どもの読書活動の推進に関する法律」が制定された。この法律は読書活動の意義を「子どもの読書活動は、子どもが、言葉を学び、感性を磨き、表現力を高め、創造力を豊かなものにし、人生をより深く生きる力を身に付けていく上で欠くことのできないものである」と述べている(第2条)。
他方、国語との関連から読書に触れたのが今年1月文化審議会国語部会が発表した「これからの時代に求められる国語力について―審議経過の概要―」で、そこでは「読書は、国語力を形成している<考える力>、<感じる力>、<創造する力>、<現わす力>、<国語の知識等>のいずれにもかかわり、これらの力を育てる上で中核となるものである。
また、すべての活動の基盤である<教養・価値観・感性>などを生涯を通じて身につけていくために不可欠、というより、読書なしに教養等を形成していくことはあり得ないと言えるくらいに重要なものである」と述べている。
なるほど、抽象的には子どもたちが人生をより深く生きていくのに必要な力の源となるのが読書であり、教科的にはそれは特に国語力の形成の中核となるものである、というのは間違いではない。国語力が英語や数学といった他の教科の理解に不可欠だといわれていることも再確認すべきだろう。
問題は、このような各種の審議会の答申や報告が、国をあげて実効を担保されることが少ないということである。理想は高く誰でもが納得する論ではあっても、予算等の具体的裏づけなしではあまり期待はできない。
さらに、現実には、塾や予備校のみならず学校教育の現場においてさえも、受験というファクターが加わって受験のための読書の勧めが横行しがちで、なかなか本来の意味での子どもたちの読書を指導できない。そのことが逆に子どもたちの読書嫌いを引き起こしているのは、実に悲しいことである。

Copyright© 京葉学舎 | 千葉市花見川区の学習塾 All Rights Reserved.