【第二章】おわりに

2004-02-11

「国語力」という概念が不明確だ(広すぎる?)ということが、いろいろな意味で「国語論」を難しくしているように思われる。「日本語力」といった場合と異なるのか否か。
このことは、現行の国語科で何を教えるのか、望ましい教科書の在り方はどんなものか、といったこととも関連してくる。
例えば、文学は教えることができるのかとか、教科としての国語では語彙や文法を中とした言語(当然日本語となる)と思考の論理的操作に限るべきではないかとか、文学は読書の時間として別に設置すべきではないかとかいったような議論が、主として学校以外の外野から聞こえてくる(学校現場からはこうした声があまり聞こえてこないのが不思議でさえある)。
このような国語科を取り巻く状況の中で、この答申は従来の国語科の枠組みの中で、国語力を身に付ける方策を探ったものである。したがって、その限界は当然だといえよう。
ただし、先にも触れた「教科内容を、情緒力の育成を中心とした「文学」(あるいは「読書」)と、論理的思考力等の育成を中とした「言語」という2分野に整理すること」や「小学校の国語の授業時間を大幅に増やす」といった提案は、思い切った提案であり、文科省は早速この課題を取上げて議論の場を設けるべきである。これらは、教科性質のものである。書改定を含む大掛かりなものとなることは必至であり、世論を巻き込む大仕事となる。
なお、読書指導の在り方に関しては、二つの検討事項を挙げておきたい。
一つは、学校図書館(室)に専任の司書を配置することである。このことだけで、児童・生徒たちの読書への興味関心がこれまでと比較できないほど高まることは間違いない。
二つは、正規の授業時間の中に読書の時間を設けることである。そしてここでは、色々な作品を1冊丸ごと読ませるというスタイルにして、多読の中から作品や作家への興味関心を喚起し、延いては読書を通じて自ずと国語力が身に付く結果を期待するのである。

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